動物にとって寒冷地での生活はとても厳しいものがある。人は言うまでもないが、過酷な環境に順応した野生動物でさえ、簡単に過ごしているわけではない。体が冷えると、脳や筋肉などの器官の動きが鈍くなるのはどの動物でも基本的に変わらない。
爬虫類や両生類などの体温は、ほとんどが環境の温度に左右される。だが、哺乳類は新陳代謝を高め、より多くのエネルギーを使って体を温めることが可能となっている。こうする事で、夜間や冬期に気温が下がっても活動することができるよう順応してきた。
ただ、哺乳類が寒さの中で新陳代謝を高めることは分かっているが、どの器官や組織がこの余分なエネルギーを使ってより多くの熱を生み出すのかは明らかになっていない。
ラッコの防寒対策は毛皮だけではない?
寒冷地で生活する哺乳類の例としてラッコがいる。アラスカや寒い地域のロシアなどに主に生息している。日本でも北海道の北に生息していたが毛皮目的の乱獲で一旦絶滅したものの、今ではまた少し数を確認出来るようになった。
基本的に水中で活動する哺乳類は空気よりも水の方が熱伝導率が高く、体温の維持が困難なため、身体が大きくなり断熱材として厚い脂肪を得るよう進化した。
だが、ラッコは体も小さく暑い脂肪も持たない。では、ラッコはどのように寒冷地に順応しているのか。
ラッコは哺乳類の中でも特に密度の高い毛皮を断熱材とし、寒冷地に順応したと考えられていた。確かにそれは間違いないいが、実はそれだけでは無かったことが今回の研究で明らかになった。
毛皮だけでは不十分
確かに厚い毛皮が断熱材として効果的なのは間違いない。だが、分厚い脂肪を持たず体格も小さいラッコが地球上でも非常に寒く且つ水中という過酷な環境下で暮らすには毛皮だけでは不十分だ。
毛皮は定期的なメンテナンス(グルーミング)も必要となる。実際、ラッコの1日の活動のうち10%は毛皮の中に閉じ込められた空気の断熱層を維持する作業に当てられている。それだけでもエネルギーを消費してしまう。
そして前述したとおり、エネルギーを消費してでも得られる毛皮の断熱効果だけは不十分だ。寒冷地の環境に耐えうるに十分な体温を生み出すために、ラッコの安静時の代謝率は同サイズの他の哺乳類の約3倍になる。だが、この代謝率の高さにはコストがかかってしまう。
十分なエネルギーを得るために、ラッコは1日に体重の20%以上の食事を摂る必要がある。人間なら、体重の約2%、つまり70kgの人が1日に食べる量が1.3kgで済む。寒さに耐えるのにどれだけエネルギーが必要かが分かるだろう。
体温を維持する体内の熱はどのように発生するのか
そもそも体温はどのように維持されているのだろうか。動物は知っての通り食事からエネルギーを得る。だが、食べ物に含まれるエネルギーは、直接使う事は出来ない。
食物は脂肪や糖などの栄養素に分解され、これらの栄養素は血液で体内に運ばれ、細胞に吸収される。細胞内にはミトコンドリアがあり、ここで栄養素がATP(細胞のエネルギーとして機能する高エネルギー分子)に変換する。
栄養素がATPに変換される過程は、ダムが貯めた水を電気に変えるプロセスに似ている。ダムから流れ出た水は、発電機につながれた風車を回すように流れて電気を作る。ダムに水漏れがあると、水、つまり蓄えられたエネルギーが失われ、電気を作ることができない。
同様に、ミトコンドリアのエネルギーが漏れていると、栄養素からATPを作る効率が悪くなってします。ミトコンドリアで漏れたエネルギーは本来の役割には使えないが、熱を発生させて体を温める。
ほとんどの哺乳類は、体の30%を筋肉が占めている。筋肉は、活動する事でエネルギーを消費し、多くの熱を発生します。運動して体が熱くなるのはそのためであり、寒い時に体が震えるのは体温を維持するために筋肉を動かす防衛機能だ。
この機能を代謝という。研究チームはラッコの代謝がどうなっているかを調査した。
驚くべきラッコの代謝能力
研究チームはラッコの体温維持に筋肉の代謝がどのように働いているか調べるため、生まれたばかりの子から大人まで、体格や年齢などさまざまなラッコから小さな筋肉サンプルを取り、調査した。
筋肉サンプルはエネルギー消費量を数値化するため酸素消費量を測定するための小型のチャンバーに入れ、ミトコンドリアがATPをつくるのに使えるエネルギー量と、熱を発生させるリークに使えるエネルギー量を調べた。
その結果、ラッコの筋肉のミトコンドリアは非常に漏れやすい状態にあり、体を動かしたり震えたりしなくても筋肉の熱を上げることができる、という事が判明した。
ラッコの筋肉は、非効率なことが得意なのだ。栄養分を運動に回す際に熱として「失われる」エネルギーを敢えて作り、寒さを乗り切ることができる。
驚くべきことに、生まれたばかりの子は、泳いだり潜ったりするための筋肉がまだ成熟していないにもかかわらず、大人と同じ代謝能力を持っていることがわかった。
ラッコは生まれながらにして寒冷地で過ごせるように進化している。つまり種として環境に適応しているのだ。
生物にとって栄養素を取得するのは命に関わる重要なものだ。しかし、ラッコはあえてその効率を悪くする事で筋肉を動かさずに熱を作る事を選んだ。結果として寒冷地で小さい身体ながら、それなりの餌の量で多く活動せずに活動できるよう最適化されている、という事になる。
筋肉は単純な「動く物」ではない
この研究結果は、筋肉が動くためだけの単純な器官ではないことを明確に示している。筋肉は体の大部分を占めている。筋肉の代謝がわずかに向上するだけで、ラッコが使用可能なエネルギー量が劇的に増加するのだ。
これは人間の健康にとっても重要な意味を持つ。安静時の骨格筋の代謝を安全かつ可逆的に増加させる方法が発見されれば、医師はこれを利用して患者の消費カロリーを増加させ、肥満率を減らすことができるかもしれない。
逆に、骨格筋の代謝を低下させることで、がんなどの消耗性疾患の患者のエネルギーを節約したり、長期間の宇宙飛行に必要な食料や資源を減らすことができるかもしれない。
ラッコや他の動物のように特殊な環境下で暮らす人と同じ哺乳類を研究すれば人が抱える問題の解決に繋がる可能性があるだろう。