火山の噴火で滅亡した古代都市ポンペイのように、自然災害で壊滅的被害を被った古代都市はいくつかある可能性がある。
ある程度化学の技術で災害を予測できるようになった現代でも、防ぐことは出来ず、町が滅ぶ可能性もあるほどに自然の力は強大だ。
ヨルダンの3600年前の古代都市トール・エル・ハマムもその一つで、隕石によって吹き飛んだ可能性があると指摘されていた。
この度、これが真実であった証拠が見つかったと言う。
当時の状況
今から約3,600年前のある日、古代都市トール・エル・ハマムの住人は、隕石が時速6万1,000kmで向かってきていることを知るすべはなかった。
大気圏を突き抜け、地上約4kmの高さで爆発した。この爆発は、広島に落とされた原爆の約1,000倍の威力があったという。
気温は急速に上昇し、2,000℃を超え、衣服や木材はたちまち炎上した。刀や槍、陶器なども溶け、街全体が火の海となった。
その数秒後、巨大な衝撃波が街に押し寄せた。時速740kmの衝撃波は、猛烈な風として街を吹き抜け、すべての建物が破壊された。
隣の谷に散乱した瓦礫を吹き飛ばし、8,000人の人々、近隣に住んでいた動物も、誰一人として生き延びることはできなかった。彼らの体は引き裂かれ、骨は細かく砕かれた。
その約1分後、タル・エル・ハマムの西22kmの地点で、爆風が聖書の町エリコを襲った。城壁は崩れ落ち、街は燃え尽きた。
これが3600年前にヨルダンの死海の近くで起きたことだ。なぜわかるのだろうか。この度、これらが真実である証拠が発見されたからだ。
各国の科学者が集結、長期間の調査
この答えを得るため、15年近くかけて丹念に発掘を続け、アメリカの10州、カナダ、チェコ共和国の20人以上の科学者が協力して発掘物を詳細に分析した。
このプロジェクトには考古学者、地質学者、地球化学者、地形学者、鉱物学者、古生物学者、堆積学者、宇宙衝突の専門家、医学者など、21名の専門家が参加。
このメンバーによってScientific Reports誌に証拠が報告された。
当時のシナリオをモデル化
考古学者が廃墟となった都市の発掘現場を確認し、木炭、灰、溶けた泥レンガ、溶けた陶器などがごちゃまぜになった、厚さ約1.5mの暗い層を発見した。
激しい火災がこの都市を破壊したことは明らかであった。この帯は、破壊層と呼ばれるようになった。
その層は火山や地震、戦争等によるものでは無い事は明らかだ。金属や土石流、陶器を溶かすことができるものではない。
プロジェクトチームはこの手の専門家が開発した、既知の衝突現象や核爆発に基づいて宇宙衝突現象のさまざまな詳細を推定することができる「衝撃計算機」を使って証拠に合うシナリオをモデル化した。
古代都市トール・エル・ハマムを破壊したのは、1908年にロシアのツングースカで8,000万本の木を倒したツングースカ大爆発(Wikipedia)と同じような隕石であった。
しかし、これだけでは不十分だ。古代都市トール・エル・ハマムで起きたことを証明する必要がある。
確たる証拠・1
調査の結果、驚くべき証拠が見つかった。
トール・エル・ハマムの遺跡には、1平方インチあたり5GPa(ギガパスカル:Wikipedia)の圧力でしか形成されないショックド・クオーツ(衝撃石英)と呼ばれる微細な割れ目のある砂粒が存在した。
また、この層にはダイヤモンドのように硬い微小なダイアモノイド(Wikipedia:英)が含まれている。その一つ一つは、インフルエンザウイルスよりも小さいほどのサイズだ。
隕石による高い圧力と温度によって、周辺の木や植物が瞬時にこのダイヤモンドのような物質に変化したのだ。
確たる証拠・2
更に証拠を積み上げよう。次は当時の温度を再現する。
古代都市トール・エル・ハマムの泡立った形跡がある陶器やレンガは、1,500℃以上の温度で液化することがわかった。これは、自動車を数分で溶かす事が出来るほどの高温だ。
そして、層には空気中のチリよりも小さい、溶けた小さな球状の物質が含まれていた。これは「スフェルール」と呼ばれるもので、約1,590℃で気化した鉄や砂が溶けたものだ。
更に、発掘された陶器やガラスの表面には、融点が2,466℃のイリジウム、1,768℃のプラチナ、1,540℃のケイ酸ジルコニウムなどの粒が溶けてまだらに散らばっている。
これらの証拠を総合すると、当時のトール・エル・ハマムの温度は、火山や戦争、通常の都市火災よりも高温であったことがわかる。このような証拠は現状、チクシュルブ・クレーター(Wikipedia)など、既知の衝突地点にも見られる。
残る自然現象は、隕石による惑星衝突くらいだろう。
なぜ今までこの都市が発掘、研究されず放置されてきたのか
なぜ今までこの都市が発掘、研究されず放置されてきたのだろうか。
ここからはあくまで推測になるが、隕石衝突の際に堆積した大量の塩分のために、作物が育たなかったのかもしれない。
爆発によって有毒な死海の塩水が気化したり、谷間に飛び散ってしまうが、この辺りは砂漠気候で降雨量が少ないため、飛び散った塩分が洗い流されるまでの600年間は、農作物が育たない不毛の地となる。
つまり、誰も住むことができまなかったのだ。人がいなければ見つけられない。
気になる聖書の1節
この惨劇の当時の目撃者はいたのだろうか?可能性はないとは言えない。
聖書にあるソドムの物語として記録されるまでに、何世代にもわたって都市の破壊の様子が口、或いは歌などで伝えられていた可能性がある。
聖書には、死海近くの都市の惨状が描かれている。石や火が空から降ってきて、複数の都市が破壊され、火事で濃い煙が上がり、都市の住民が死に至った。
もしこの話が目撃談だとすれば、古代都市トール・エル・ハマムの滅亡は、約1万2800年前にシリアのアブ・フレイラ村で起きた隕石衝突による町の破壊に次ぎ、2番目に古いものになるかもしれない。
重要なのは、このような大災害の記録が初めて文書化された可能性があるということだ。前述したように人が住む都市がこのような運命をたどるのはこれが最後ではないだろう。
今でも脅威にさらされている人類
トール・エル・ハマムで発生したような災害は現代においても起きる可能性は十分にあり、深刻な問題となっている。
2021年9月現在、地球の近くにある小惑星は26,000個以上、短周期の彗星は100個以上存在する。そのうちの1つは必ず地球に衝突するだろう。
さらに数100万の小惑星も未だに発見されておらず、そのうちのいくつかは今も地球に向かっているかもしれない。衝突しそうな間際に見つかったとして、逃げる術もない。
地上の望遠鏡がこれらを事前に検出し、衝突を予見できない限り、世界はトール・エル・ハマムの人々のように何の警告も受けないまま消滅する可能性があるのだ。