アメリカ大陸を発見したのはコロンブスである。これは世界共通の一般的な認識で教科書等にも載っている。
だが、そもそもインディアンなどの先住民がいたことも分かっているのに「発見した」とするのはおかしいだろう、という意見がある。もともと住んでいた先住民には文化もあるし政治も行われていた、コロンブスは発見したのではなく侵略したのだ、と。
こういった「発見」には様々な異論がある。世界遺産として名高いマチュピチュもハイラム・ビンガムが発見したと言われているが、実際は地元の子供が発見しており、案内されたに過ぎず、ペルーの現地ガイドは「ハイラムビンガムは厳密には発見していない」と解説する者もいる。
イタリアの船乗りがアメリカ大陸を事前に知っていた証拠
コロンブスのアメリカ大陸発見に関しては「サン・サルバドル島に上陸した1492年10月12日」とされている。Wikipediaには以下のような記載がある。
先住民族はもちろん赤毛のエイリーク親子らによってアメリカ大陸が発見されていたことは事実としても、15世紀までヨーロッパの先進諸国の人々にこの大陸の存在は知られていなかった。 彼らにとっての発見は、1500年前後のできごとであった。
イタリア出身の航海者クリストファー・コロンブスは、地球球体説に基づき、ヨーロッパから東方ではなく西方に進んでもアジア(インド)に到達できると考えた(西廻り航路)。 スペインのカトリック両王の支援を受けたコロンブスは、1492年8月3日に3隻の船と約100人の乗組員を引き連れてパロス・デ・ラ・フロンテーラから出航。 10月12日、彼らはアメリカ大陸沖のカリブ海に浮かぶバハマのサン・サルバドル島へと到達した。 その後、コロンブス一行はキューバ本島とイスパニョーラ島を発見。 歓迎した先住民族たちから金品を略奪して虐殺したのちに出航し、スペインへと帰国した。
一般に、彼がサン・サルバドル島に上陸した1492年10月12日をコロンブスによるアメリカ大陸の発見と呼ぶ。
そう、今まで15世紀前に欧州人がアメリカ大陸の存在を知る記録が無かったのだ。
ところが、この度、1345年頃にはイタリアの船乗りたちがアメリカ大陸を知っていた、という記録が見つかったのだという。コロンブスのアメリカ大陸発見の実に150年前の事だ。
考古文学の発見
中世ラテン文学の専門家であるキエサ教授は、ミラノの修道士ガルヴァネウスが1345年頃に作成した文学作品を分析した結果、北アメリカのある地域ついて言及している一節を発見した。
ガルヴァネウスは、ミラノに住んでいたドミニコ会の修道士で、ミラノの領主の家系に属しており、主に歴史をテーマにしたいくつかの文学作品をラテン語で書いていた。
キエサ教授は彼の晩年の作品の一つであり、未完のまま残されたものである『クロニカ・ユニバリス』を分析した。
その結果、ガルヴァネウスが、ジェノバの船員達から、北アメリカの土地に関する噂話やグリーンランドに関する情報を耳にしていたことが明らかになった。北欧の情報源から得られたアメリカ大陸に関するニュースが14世紀半ばの北イタリアの一部で流通していた可能性がある。
なぜ船乗りたちが知っていたのか
イタリア、ジェノバの船乗り達がアイスランドやグリーンランドに到達したという証拠はない。彼らはどのようにアメリカ大陸を知ったのだろうか。
彼らは北欧の商人、つまりスコットランド人、イギリス人、デンマーク人、ノルウェー人の船員から聞いたのだ。
ジェノバは ケルト語の入り口の意とされている。その歴史は古く、紀元前6世紀頃から人類が居住していた。ローマ時代には海運業や軍港として発展し、1100年頃よりジェノヴァ共和国として発展。
ヴェネツィアやアマルフィなどの海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増していった。特に通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、黒海貿易を独占するなどしたのだ。
歴史も古く、オープンな港町で貿易も盛んであったため、遠く離れた他国の者との交流もあった。ジェノバは貿易が盛んであったため、様々な情報も入ってくる街だったのだ。
ラテン語で書かれた『クロニカ・ユニバリス』はまだ未出版だが、ミラノ大学が推進する学術的・教育的プログラムの一環として、出版が計画されている。