歴史・考古学
ローマ皇帝の墓がアウグストゥス霊廟以外に存在しない理由とは。(出典:Wikipedia

初期の頃のローマ皇帝たちの霊廟が無く、初代皇帝のアウグストゥス霊廟しか無いのは何故なのか、その理由。

知っての通り世界の各国にはそれぞれに独自の文化があり、言語や生活様式、考え方などもそれぞれ異なる。だが、よく観察してみると共通点が多い事に気が付くだろう。

人の考え方や文化は生まれた環境によって左右されるが種としてのヒトの根本的な部分はやはり同じだ。例えば料理などでは材料や工程が異なっても似たような食べ物を考案していたりするし、コミュニティから政治や権力という概念も生まれる。

また、どの国にいっても何かしらを信仰しているし、同じく死を恐れ、信仰する事でその恐怖から逃れようとする。信仰対象や死の考え方は違ってもゴールは安寧であり、墓も作る。

過去に権力者たちは、その権力を死してなお誇示しようと、大きな墓を配下に建てさせる傾向があった。日本でも古墳が見られたりエジプトでは王はピラミッドに埋葬される。インドのタージマハルも霊廟だ。勿論、ヨーロッパのローマ帝国時代にも大きな墓を作った形跡がある。

ところが、初期のローマ帝国は初代皇帝アウグストゥスの霊廟しか見られない。これはなぜなのだろうか。

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アウグストゥス霊廟

初代ローマ皇帝は知っての通りアウグストゥスだ。舞台にもたびたび登場する養父カエサルの後を継いで内乱を制し、地中海世界を統一してパクス・ロマーナ(ローマによる平和)を実現、初代ローマ帝国皇帝となった。

「アウグストゥス」はラテン語で「尊厳ある者」を意味し、彼の命日である「8月(August)」の英語の語源にもなっている。だが当初の名前はオクタウィウスであり、更に彼は幾度か名前を変えているため、歴史家の中では混乱を避けるために「オクタウィアヌス 」と呼んだ。勿論、当人がこの名を名乗った訳ではない。

アウグストゥスの墓はローマのポポロ広場からモンテチトーリオ宮殿に向かい右手にテベレ川が見えた向かい側の左手にあるアラ・パキス博物館とサン・カルロ・アル・コルソ教会の間の敷地内にある。

ところが、ローマ中、いや、イタリアのどこを探しても初代皇帝アウグストゥスの墓以外にその他の皇帝の墓が見当たらない。

彼以外の皇帝の墓は一体どこにあるのだろうか。

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アウグストゥス霊廟の歴史

19世紀に描かれた当時のアウグストゥス霊廟の想像図。(出典:Wikipedia


皇帝たちの墓の謎を知るには、アウグストゥス霊廟の歴史を知る必要がある。

アウグストゥス霊廟は他国の権力者たちの墓と同様に大きな墓を建てた。だが、その目的は少し違う。彼はローマ帝国初代皇帝という大きな権力を持ちながらも、ローマの国民たちと同じように家族が共同で使う墓として設計したのだ。

霊廟の高さ42m、直径90mの大きなサークル型霊廟で、紀元前31年のアクティウムの戦いで、反乱軍のアントニーとクレオパトラに勝利した頃に開始されたプロジェクトだ。

前述通り、アウグストゥスは自分だけでなく家族や自身以降のローマ皇帝たちの為の墓として作った。実際、西暦217年まではその目的に沿って後世の親族たちの遺灰が納められていた。

だが、ハドリアヌス帝の時代になると、アウグストゥス霊廟はその重要性を失い、使われなくなってしまった。

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放置され、荒らされるアウグストゥス霊廟

屋根は取られ、埋葬された遺灰も失われた。(出典:Wikipedia


西暦217年以降、その重要性を失ったアウグストゥス霊廟は手つかずのまま放置された。

更に西暦410年には西ゴート族の王アラリック1世によるローマ略奪で屋根は破壊され、黄金の骨壷に入った遺灰は散逸してしまったと言われている。

中世になってからは、荒廃したアウグストゥス霊廟は要塞化を目的に城として改築され、有力貴族であるコロンナ家の持城となった。12世紀、コロンナ家は教皇庁に対抗して結成されたローマコミューンとの戦いに敗れた。

1241年、コロンナ家はグレゴリー9世によって追放され、要塞としての再利用を防ぐために建物を破壊され、現在の形となったのだった。

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プロパガンダに利用され、現代にいたるまで

18世紀になってからは、ソデリーニ家がこの霊廟を購入し、闘牛のほか、演劇やサーカスの上演に使う目的で装飾された。

1907年から1936年にかけては、3,500人を収容できるコンサートホール「アウグステオ」になった。だが、当時のイタリア首相であったムッソリーニ氏が「廟にふさわしい使い方ではない」としてコンサートなどの利用を禁止し、修復プロジェクトに移行したように見えた。

だが、実際はイタリアのファシズムをローマ帝国の輝かしい歴史と結びつける意図をもって行ったプロパガンダ事業であった。ムッソリーニ氏は自身が「アウグストゥスの生まれ変わり」として新しい偉大なイタリアを作り上げることを想定していた。

その後、修復される事は無く長らく放置され、廃墟となっていたが、2017年、テレコム・イタリアによる600万ユーロの支援を受け、大規模修復が開始された。

2021年現在も修復は続いており3月から事前予約制の一般公開が始まっている。こうしてアウグストゥス霊廟は初めて一般公開される事になった。

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他のローマ皇帝の墓が無い理由

記録ではこの霊廟に埋葬されたのはアウグストゥスの埋葬前は甥であるマルクス・クラウディウスやマルクス・ウィプサニウス、ネロ、姉であるオクタウィア、養子であるガイウス・カエサルやルキウス・カエサルなど。

アウグストゥスが没後に埋葬されて以降は、妻であるリウィア、ゲルマニクス・ユリウス・カエサル、第2代、3代、4代ローマ皇帝、及び彼らの親族や妻、第12代ローマ皇帝などだ。

アウグストゥス以外の霊廟が無い理由、それは「アウグストゥス霊廟が共有墓地だったから」である。そして、彼らの遺灰は略奪によって失われてしまった。

アウグストゥス霊廟は数あるローマの観光地に比べるとあまり人気が無い。

アウグストゥス廟―初代皇帝の墓はとても地味(イタリア) | 遺跡で実感!古代ローマ
 アウグストゥスが好きです。でもアウグストゥス は一般にはあまり人気がないのです。その墓であるアウグストゥス廟も観光地としては無名で、地球の歩き方でもおすすめ度を現わす星が一つもつ...

だが、アウグストゥス霊廟は復元された。もともと古代ローマの建築物の中でも第一級の地位を誇る歴史的建造物であり、このような波乱に満ちた過去もあるなど観光地としての話題性は十分だ。

パクス・ロマーナを実現した初代ローマ皇帝アウグストゥスの悲願だったアウグストゥス霊廟は彼の没後2000年の時を経て、再び輝く日が来るのかもしれない。

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参考文献

歴史・考古学
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Amet

旅行が趣味の団塊ジュニア世代。旅先で歴史を学んだり遺跡を見学したりその土地の食べ物を楽しむ事をライフワークにしています。本業はテクノロジー/マーケティング関係で情報収集と分析が専門です。

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