古代エジプトと聞いて何をイメージするだろうか。多くのものはピラミッド、ミイラ、スフィンクス、黄金などではないだろうか。
実際、エジプトでは多くの太古の墓が発掘され、中には遺体と共に多くの財宝が納められていたケースもある。
しかし、古代エジプトの墓は基本的に紀元前のもの。3000年以上も経っているため大半は盗掘にあってしまい、せっかく発掘できてもすでにもぬけの殻、という事もある。
それゆえ古代エジプトの美術品などはとても貴重だ。そんな貴重な古代エジプトの非常に保存状態の良い財宝が、東地中海に浮かぶ島国、キプロスで発見されたという。
キプロスの墓で古代の宝の山を発見
スウェーデンのヨーテボリ大学の考古学者チームが2016年に「新スウェーデン・キプロス探検隊」(The Söderberg Expedition)を発足、2018年には研究者チームが2つの地下墳墓と多くの遺物を発見していた。
その中から金、銀、青銅、象牙などの多くの財宝があり、中にはヒエログリフが刻まれたスカラベなど古代エジプトの財宝も眠っていた。
キプロスは古来から広範囲にわたる貿易ネットワークを持っており、遠く離れた異国から希少な高級品なども輸入していた事が明らかになった。
キプロスについて
キプロスは日本ではあまり馴染みのない国かもしれない。キプロスはトルコやイスラエル、エジプト、シリアなどに囲まれる東地中海の中心に浮かぶ島国だ。
1974年のトルコによる軍事侵攻によって、南部のキプロス共和国とトルコの実効支配地域である北部の「北キプロス・トルコ共和国」とに分断されている。そのため、国際連合加盟国193か国のうち、192か国が国家承認し、トルコだけは承認していない、首都が2つの国の支配下にあるなど紛争の最中にある。
キプロスにはイスラム世界における預言者ムハンマドの乳母であるウンム・ハラムと関連したハラ・スルタン・テケのモスクが建てられており、周辺のイスラム社会ではこの場所を聖地とみなしているなどイスラム世界で最も重要な宗教的モニュメントのひとつとなっている。
支配層の墳墓か
研究者チームが発見した2つの墳墓からは3,000年以上前の155体の人骨と約500点の遺物が発見された。また、墓が数世代にわたって再利用されていたことも判明。
更に、5歳の子供の骸骨には金のネックレス、金のイヤリング、金のティアラなどがあしらわれていた。更に希少な宝石や、遠い文化圏の豊かな装飾が施された容器も発見れている。
研究チームの出した論文の筆頭執筆者であるピーター・フィッシャー教授はこの墓がエリート階級の家族の為の墓である事を示唆すると述べている。
多数の財宝
墳墓からは遠方の国々のさまざまな金銀財宝が見つかった。例えばヘマタイトで作られた円筒形の印章だ。
これには3行の楔形文字が刻まれており、3つの名前が施されていた。そのうちの1つに「アムルル」という名がある。これはメソポタミアの失われた都市ニナブの守護神「山の主」として崇められていた神の名だ。メソポタミアからキプロスは1000km離れている。3000年も前の時代にどのようにこの遺物が移動したかはまだ分かっていない。
そして驚くべき財宝が古代エジプトのものだ。これはネフェルティティ女王とその夫エクナトンが統治していた紀元前1350年頃のものだと判明した。これはナイル川流域から輸入された魚の骨が発見され、有機物のサンプルとなり年代が特定できた。他にもヒエログリフが刻まれたスカラベのお守りや蓮の花の形の宝石など多くのエジプトの財宝が眠っていた。
更にはフガニスタンから輸入された宝石ラピスラズリ、バルト海からの琥珀、インドからの赤い宝石カーネリアンなどの他、女性の体と鳥の頭を持ち、半身が鳥で半身が人間の子供を抱いているユニークな女神像も発見された。これはまだどの国のものか、どのような文化のものか不明だ。
これらの事から古代のキプロスが青銅器時代の世界的な交易の重要な拠点であったことが示された事になる。
更なる調査を
富裕層の墳墓に、広域への貿易など、古代のこの地は非常に興味深い文化を持っていたように思える。
様々な財宝の所在や詳細は前述通り少しづつ明らかになっているものの、他に見つかった155人の遺体の詳細は未だに不明だ。
この者たちの人物像を明らかにする事で更に古代のこの地への理解が深まるだろう。