あなたはポンペイ遺跡を知っているだろうか。ポンペイはイタリア・ナポリ近郊にあった古代都市だ。およそ2000年前に、この街は瞬く間に滅亡した。
スペイン領のカナリア諸島、ラパルマ島付近で火山が噴火し、街をマグマや火砕流が飲み込んでいるように、西暦79年、ポンペイの街はヴェスヴィオ火山噴火による火砕流に飲み込まれた。
ポンペイ遺跡はそんな古代都市ポンペイが埋もれた跡で世界遺産にも登録されており、現在も発掘チームによって遺跡の発掘が行われている。
ポンペイ遺跡で新たに奴隷部屋を発見
そんなポンペイ遺跡で新たに、非常に保存状態の良い奴隷部屋が発見された。発見されたのは都市から少し離れた郊外の裕福な家庭の別荘であるチヴィタ・ジュリアーナ邸の発掘中に奴隷部屋と思われる部屋が見つかった。
トッレ・アンヌンツィアータ検察庁のヌンツィオ・フラリアッソ氏による指揮の元、2017年より別荘が調査されていた最中だった。
奴隷部屋は通常は殆どが闇に葬られるが、ポンペイは前述したように逃げ遅れた者たちが火砕流に飲み込まれた街ゆえ、隠す余裕が無かったのだろう。歴史の暗黒面を垣間見る事が出来る非常に貴重な発見となった。
墓荒らしに苦慮
この別荘は長く墓荒らしに苛まされている。チヴィタ・ジュリアーナ邸を検察庁が調査した結果、何年も組織的に略奪されていた事が明らかになっている。
2017年以降、新たなデータや発見が相次ぎ、今回も貴重な奴隷部屋が発見されたが、トンネルが掘られており、この部屋もまた荒らされていた。考古学的に貴重な遺産が奪われている可能性がある。
本奴隷部屋も含め、チヴィタ・ジュリアーナ邸の被害総額は推定200万ユーロ(2億6,200万円)にも上ると言う。
ポンペイの奴隷たちの生活
奴隷たちの生活はどのようなものだったのかが、この保存状態の良い奴隷部屋で分かる。局長のガブリエル・ズィクトリーゲル氏は、この部屋で最も印象的だったのは、「窮屈で不安定」だという点だ。
16平方メートル(およそ10畳)しかないこの小さな部屋は、奴隷の家であると同時に倉庫にもなっていた。光が入るのは上部の小さな窓しかない。
部屋には3つの短いベッドと木製のチェストが発見された。その中にはハーネスの一部のような馬具の部品と思われる金属や布製のものが入っていた。更に、ワイン、オイル、果物、香辛料などが入った大きなアンフォラ(貯蔵瓶)8個と、いわゆる「おまる」がベッドの下などから発見された。
ベッドは木の板でできていて、長さは、2つが1.7メートル、もう1つが1.4メートルだった。子供サイズのベッドがある為、奴隷の3人家族を、奴隷部屋兼倉庫に「所有物」として「確保」していた可能性がある。
当時の奴隷の扱いを正しく知る事が出来る非常に貴重な発見だけに、盗掘にあっていたのが悔やまれる。