火喰い芸の大道芸人だったギー・ラリベルテは、1984年にカナダのケベック州でエンターテイメント集団を設立した。
その名はシルク・ドゥ・ソレイユ。大道芸人やアスリート、アーティストなどが集まり、アクロバティックな演目を見せてくれるプロの曲芸師、サーカス団体だ。
このように、「人並外れた技を見せて金銭を得る」という生業はいつごろからあるのだろうか。
サーカスの歴史
サーカスの歴史は古く、円形広場(サーカス)で催される見世物は、2500年程前のローマ時代には既に原型があった。
サーカス(circus)の語源はラテン語のcircus(輪)から来ているとされており、前述通り円形広場で行われるショーだ。
では、このサーカスで演目を行う曲芸師たちはサーカスの誕生と同時に生まれたのか。そんなわけはない。彼らの歴史はさらに深い事が分かっている。
当時の中東の国家にて
中東の古代都市国家の住人は、宮殿や神殿などの施設を中心に、周辺の農業や牧畜民のコミュニティに支えられながら、活気ある社会的・経済的生活を送っていた。
これらの都市間では人、物、思想が行き交い、文化圏を形成していたが、その中では地域のアイデンティティや習慣が強く保たれていた。例えば今から4000年前の紀元前2000年頃にあった古代都市エブラの遺跡では図書館も発見されている。
王宮に所属するプロの曲芸師(フップ/huppû)はそんな古代シリアで生まれた。
プロの曲芸師・フップ
フップに関する記録は、シリアの古代都市エブラ(テル・マルディフ)の行政文書で、紀元前2320年頃のものとされている。さらに、ユーフラテス川沿いの隣町マリ(テル・ハリリ)に保存されている王家の記録(紀元前1771〜1764年)から、フップの詳細が明らかになっている。
記録によると、フップは王が無事帰還した際や重要人物の招待、宗教的な祭りなど、特別な行事のために、フップの一団が呼ばれて月に数回上演していた。
例えば、女神イシュタルの祭りの演目では、フップや僧侶が太鼓を叩きながら古代シュメール語で歌ったという記録が残っている。これらの演出は賞賛され、フップ達は王に同行して外国の王国での接待を行った。
これが国家によって正式な記録として残された、世界初のプロの曲芸師だ。
フップのパフォーマンス
フップのパフォーマンスを説明する表現は2つしか残っていない。1つはmēluluといい、「遊ぶ」、「演じる」、「戦う」など様々な意味を持つ。
2つ目はnabalkutuといい、「障害を取り除く」、「反抗する」、「逆さまにする」、「味方を変える」、「転がる」など、大胆でダイナミックな行動に使われたそうだ。
フップの一団は、アクロバティックな技とダンスを融合させた演目を披露し、身体表現で観客を魅了したのだろう。
尚、フップに関する記録には今のところ女性形や女性の名前が存在しないため、男性しかいない、或いは許されていない職業だったと考えられている。
フップの生活
フップの仕事場の殆どは宮殿だが、生活の場は宮殿の外にあり、多くの者は家庭を持っていた。王族が主な雇い主であったが、必ずしも全てのフップが裕福であったわけではない。
支払いは公演後、おそらく月に数回、銀シェケルで支払われていた。シェケルとは古代に使われていた通貨と重さの単位の一つで、当時の銀シェケル1つで大麦300kgが買える程度の価値だ。
現存する宮廷支出表を見ると、一般団員が1シェケル、副官が2シェケル、頭目が5シェケルとなっている。
額から分かるように、頭目は報酬も高く、衣類や武器、ワインなどそれなりに贅沢な品を手に入れていたものの、他フップ団体との競争や労働力不足、依頼主変更(王族の代替わり)による資金削減などストレスの多い職でもあったようだ。
古来から4000年経った今でも、身体能力を高め、人知を超えたアクロバティックな技術で我々を魅了する曲芸師たちはこれからもより技術を高め、その歴史を伸ばしていく事だろう。